カテゴリ海外レポート要約
原文タイトルProject Agorá shows how tokenisation can improve wholesale cross-border payments
出典BIS report page
想定読者銀行、決済業務、企業財務、事業企画、金融システム企画の担当者

Project Agoráとは
トークン化預金と中央銀行マネーでクロスボーダー決済はどう変わるか

BISとIIFが主導するProject Agoráは、トークン化された商業銀行預金と 中央銀行準備を共有プログラマブル基盤上で組み合わせ、 ホールセール・クロスボーダー決済を再設計できるかを検証する 国際的な官民連携プロジェクトです。

2026年5月に公表された成果では、多通貨・複数法域にまたがる取引を アトミックに処理できる可能性を示すプロトタイプが公開されました。 ただし、Agoráは完成した決済システムではありません。 本稿では、何が実証され、何が今後の課題として残されたのかを、 銀行・企業財務・金融システム企画の実務者の視点から読み解きます。

この記事のポイント

  • Agoráは、既存の二層通貨システムを置き換えるのではなく、 中央銀行マネーと商業銀行マネーをトークン化して再構成する構想である。
  • プロトタイプでは、複数通貨・複数法域にまたがる アトミック決済を技術的に実現できる可能性が示された。
  • 各中央銀行が自国通貨と中央銀行準備に対する統制を維持できる 階層型アーキテクチャが採用された。
  • スマートコントラクトにより、決済条件、業務フロー、 コンプライアンス要件を取引に組み込める可能性が示された。
  • 2026年7月の実価値取引(RVT:Real Value Testing)では実際の価値を伴う決済が検証され、 今後は法務、ガバナンス、流動性、障害対応、費用対効果が問われる。

1. Project Agoráとは何か

Project Agoráは、Bank for International Settlements(BIS)と Institute of International Finance(IIF)が主導する官民連携プロジェクトです。 プロトタイプ開発には、7つの中央銀行・通貨圏と、 40を超える規制対象金融機関が参加しました。

その後、カナダ銀行が加わり、現在は8つの中央銀行が参加しています。 ここで注意すべきなのは、Agoráが新しい民間通貨や 単一の世界通貨を作るプロジェクトではないことです。

既存の銀行預金と中央銀行準備が持つ信用構造を維持しながら、 それらをプログラマブルなデジタル基盤上で接続し、 クロスボーダー決済のプロセスを再構成することが中心テーマです。

読み解きの核心

Agoráの本質は、「ブロックチェーンを使うこと」ではありません。 決済指図、コンプライアンス確認、資金の確保、通貨交換、 銀行間決済を、分断された逐次処理から、 一体的で条件付きのワークフローへ変える点にあります。

2. なぜ現在のクロスボーダー決済には非効率が残るのか

現在のホールセール・クロスボーダー決済では、 仕向銀行、中継銀行、被仕向銀行、各国の決済システムなど、 複数の主体と台帳が関与します。

現在の構造的課題 実務への影響 Agoráが目指す改善方向
処理が逐次的に進む 中間工程が増え、処理時間と失敗可能性が高まる 複数工程を同期したワークフローとして処理する
営業時間・時差が異なる 決済完了まで資金が滞留する 常時利用可能な決済基盤の可能性を検証する
台帳・電文・データが分散する 照合、修正、進捗確認が必要になる 価値と取引データを同一ワークフローで管理する
コンプライアンス確認が重複する 各中継機関で確認が繰り返される 事前確認や条件判定を取引処理へ組み込む
通貨ごとに流動性が分断される 複数市場に資金を事前配置する必要がある 決済タイミングを同期し、流動性利用を改善する
エンド・ツー・エンドの可視性が限定される 企業や銀行が完了時刻を予測しにくい 取引状態と決済条件を一貫して把握する

3. Agoráのアーキテクチャはどうなっているのか

Agoráの特徴は、すべての通貨と中央銀行準備を 単一の台帳へ集約しない点にあります。 各中央銀行は、自国通貨、中央銀行準備、参加条件、 国内業務に対する統制を維持します。

その上で、トークン化された商業銀行預金を扱う共通層と、 各法域の中央銀行準備を扱う法域別の層を相互運用させます。 この階層型構造によって、国際的な接続性と国内の主権・統制を 両立させることが目指されています。

構成要素 役割 実務上の意味
トークン化商業銀行預金 銀行顧客間の価値移転を表現する 通常の銀行預金に基づく請求権を維持する
トークン化された中央銀行準備 銀行間の最終決済資産として機能する 中央銀行マネーによる決済の安全性を維持する
共有プログラマブル基盤 複数の台帳、通貨、取引条件を接続する 決済指図と業務ロジックを同期できる
法域別の管理層 各中央銀行が国内通貨と参加者を管理する 金融政策、監督、運用上の自律性を維持する
スマートコントラクト 条件判定や決済手順を自動実行する 手作業や照合負担を減らす可能性がある

4. アトミック決済はどのように機能するのか

アトミック決済とは、複数の資金移動や通貨交換を、 「すべて成立させる」または「すべて不成立にする」形で処理する考え方です。 一部の処理だけが完了し、別の処理が失敗する状態を避けます。

  1. 取引条件の設定
    金額、通貨、支払銀行、受取銀行、決済条件などを確定します。
  2. 参加資格・コンプライアンス条件の確認
    必要な本人確認、取引確認、参加者条件を検証します。
  3. 必要残高の確保・ロック
    商業銀行預金と中央銀行準備について、決済に必要な残高を確保します。
  4. 複数通貨の決済を同期
    各通貨の資金移動を、一つの取引チェーンとして連動させます。
  5. 全取引を同時に確定
    すべての条件を満たした場合のみ、取引全体を確定します。
  6. 失敗時は全体を不成立にする
    条件未達や残高不足がある場合は、一部だけを成立させません。

この仕組みは、外国為替取引における決済元本リスクを 抑制する可能性があります。 また、資金が決済完了を待って長時間拘束される状態を減らし、 流動性管理を改善する余地があります。

5. プログラマビリティは何を変えるのか

Agoráでは、スマートコントラクトを用いて、 決済条件、業務フロー、コンプライアンス要件、 支払トリガーなどを取引プロセスへ組み込める可能性が検証されました。

機能 想定される活用 注意点
条件付き支払 契約条件や業務イベントに応じて支払う 外部情報の信頼性と例外処理が必要
常時決済 営業時間外を含む決済を可能にする 流動性、監視、障害対応も常時化する
事前コンプライアンス 取引実行前に必要条件を確認する 各法域の規制差を完全には解消しない
自動照合 取引情報と資金移動を同じ処理で記録する 既存システムとのデータ整合が必要
複数取引の連動 外国為替、証券、貿易取引などを同期する 参加システム全体のガバナンスが必要

プログラマビリティを過大評価しない

スマートコントラクトを導入すれば、 規制対応や業務判断がすべて自動化されるわけではありません。 判断に必要なデータ、責任主体、手動介入、取消・訂正、 障害時処理を別途設計する必要があります。

6. プライバシーとデータ共有はどう設計されたのか

共有基盤では、すべての参加者がすべての取引情報を 閲覧できる構造は適切ではありません。 Agoráでは、取引に必要な関係者だけが必要な情報へアクセスできるよう、 データ共有を限定する考え方が検証されています。

実運用では、決済に必要な情報、AML/CFTに必要な情報、 顧客情報、監査情報、中央銀行・監督当局が必要とする情報を整理し、 アクセス権限と保存範囲を設計する必要があります。

  • 誰がどの情報を閲覧できるか
  • 国境を越えて共有できるデータは何か
  • 個人情報・銀行秘密との関係をどう整理するか
  • 監督当局や中央銀行が参照すべき情報は何か
  • 障害調査や監査に必要な証跡をどう残すか

7. トークン化しても預金と中央銀行準備の法的性質は変わらない

BISの法的分析では、トークン化すること自体によって、 商業銀行預金や中央銀行準備の法的性質が 別の金融商品へ変わるわけではないと整理されています。

ただし、決済がいつ最終的に確定するか、 トークン記録と法的権利の関係をどう定義するか、 取消・破綻・差押え時にどのルールを適用するかは、 各法域の制度とプラットフォーム規則に基づいて明確にする必要があります。

技術的な完了と法的なファイナリティは同じではない

台帳上で取引が確定したことだけでは、 法的な決済最終性が自動的に成立するとは限りません。 システム規則、参加者契約、破綻法制、 中央銀行マネーの取扱いを含めて設計する必要があります。

8. 何が実証され、何がまだ実証されていないのか

プロトタイプで示されたこと 今後の検証が必要なこと
トークン化預金と中央銀行準備を組み合わせられる可能性 本番環境での大規模処理性能
多通貨のアトミック決済を実行できる可能性 平常時・ストレス時の流動性管理
法域別の中央銀行統制を維持できる階層構造 国際的なガバナンスと責任分担
スマートコントラクトによる業務条件の組込み 誤作動、障害、サイバー攻撃時の復旧
関係者に限定した情報共有の可能性 各国のデータ規制・銀行秘密との整合
法的ファイナリティを国内制度と整合させる方向性 複数法域にまたがる紛争・破綻時の取扱い
プロトタイプとしての技術的成立性 本番導入の費用対効果と商業モデル

9. 銀行にとっての意味

銀行にとってAgoráは、海外送金機能の高速化だけを意味しません。 顧客預金、外国為替、流動性管理、AML/CFT、 銀行間決済を横断して再設計するテーマです。

  • 通常の預金台帳とトークン化預金残高の整合
  • 中央銀行準備による銀行間最終決済
  • 複数通貨の流動性確保と残高ロック
  • 顧客・ウォレット・口座・取引主体の対応管理
  • スマートコントラクトの変更・承認・監査
  • 秘密鍵、権限、障害時復旧の管理
  • AML/CFT、制裁、トラベルルール等との接続
  • 既存の決済・勘定系・会計システムとの連携

10. 企業財務にとっての意味

企業財務の観点では、送金速度だけではなく、 決済完了時刻の予見性、資金の可視性、 流動性の拘束時間、業務イベントと支払の連動が重要です。

  • クロスボーダー支払の状態を把握しやすくなる可能性
  • 支払と入金のタイミングをより正確に管理できる可能性
  • 資金の事前配置や余剰流動性を減らせる可能性
  • 請求、物流、契約条件と支払を連動できる可能性
  • グループ内資金移動やCMS高度化へ応用できる可能性

一方で、企業が直接中央銀行マネーへアクセスできることを 意味するわけではありません。 銀行サービス、ウォレット、法定通貨との交換、 外国為替流動性、会計・税務処理を含む エンド・ツー・エンドのサービス設計が必要です。

11. 日本の実務者が読むべきポイント

1.トークン化預金と中央銀行マネーを別々に検討しない

顧客向けのトークン化預金だけを構築しても、 銀行間でどの資産を用いて最終決済するかが決まらなければ、 マルチバンク型の決済基盤にはなりません。

2.勘定系・決済システムとの整合が中心課題になる

トークンを発行できることと、銀行預金として 正確に管理・償還・照合できることは別の問題です。 預金台帳、トークン台帳、中央銀行決済、 外国為替処理の整合設計が必要です。

3.AML/CFTを後付けしない

プログラマブル基盤では、 コンプライアンス条件を取引処理へ組み込める可能性があります。 ただし、各国で異なる本人確認、制裁、データ移転、 トラベルルールをどこまで標準化できるかが重要です。

4.PoCでは正常系だけを確認しない

残高不足、通信障害、通貨片側の停止、 スマートコントラクト不具合、誤送信、 取消・訂正・組戻しなどの異常系を検証する必要があります。

5.技術選定より先に責任分担を定義する

中央銀行、商業銀行、基盤運営者、 ウォレット管理者、外為提供者、企業利用者の責任を整理しなければ、 本番サービスには移行できません。

12. 実価値取引の検証と今後の論点

Project Agoráは2026年7月、一部の中央銀行・金融機関が参加し、 トークン化された中央銀行マネーと商業銀行マネーを用いた 実価値取引(RVT)を実施しました。 企業・金融機関間の決済、複数通貨、PvPなどを含む取引が 実際の価値を伴って検証され、技術的な実行可能性は一段前進しています。

今後は、商用金融インフラとして成立するかという観点から、 主に次を確認する必要があります。

  1. 対象通貨・参加者・取引類型の拡大
  2. 決済ファイナリティと法的成立性
  3. 中央銀行準備・商業銀行預金の残高管理
  4. FXレート・流動性の提供方法
  5. プライバシー、AML/CFT、規制対応
  6. 障害・例外処理、サイバーセキュリティ
  7. 運営主体・ガバナンス
  8. 既存決済と比較した費用対効果・事業性

焦点は、「技術的に動くか」から「継続的な金融インフラとして成立するか」 へ移ったといえます。

13. Project Agoráをどう評価すべきか

Agoráは、既存のコルレス銀行モデルが短期間で 全面的に置き換わることを示したプロジェクトではありません。 また、技術だけで国際決済の規制・法務・流動性問題が 解決することを示したものでもありません。

重要なのは、中央銀行マネーと商業銀行預金を 二層通貨システムの中に残したまま、 価値、データ、業務ロジックを プログラマブルな基盤上で同期できる可能性を 大規模な官民連携で示した点です。

TISIの分析

Agoráが示す将来像は、「国際送金をブロックチェーンに置き換える」 という単純なものではありません。 銀行預金、中央銀行マネー、外国為替、 コンプライアンス、流動性、データを、 一つの決済ワークフローとして再構成することに本質があります。

出典・参照資料

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