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コラム

BIS Project Agorá:クロスボーダー決済はどう変わるか
——中央銀行準備と商業銀行預金が示す次の論点
BIS Project Agorá:クロスボーダー決済はどう変わるか
INDEX

国境をまたぐホールセール決済(以下、クロスボーダー決済)は、企業財務や金融機関の実務にとって重要なテーマでありながら、現在も多くの構造的な課題を抱えています。複数の金融機関や通貨、法域をまたぐため、処理に時間がかかるだけでなく、手数料や支払い状況が見えにくく、照合作業が増えるといった問題が生じています。

BISとIIFが主導するProject Agoráは、こうした課題に対して、トークン化された中央銀行準備と商業銀行預金を共有プログラマブル基盤上で扱い、クロスボーダー決済の効率性と透明性を高められるかを検証した取り組みです。

本プロジェクトが注目されるのは、単なる決済の高速化を目指しているためではなく、中央銀行マネー、銀行預金、台帳、コンプライアンスといった既存の金融インフラを前提にしながら、将来の決済のあり方を再設計しようとしている点にあります。

本稿では、Project Agoráのポイントを国内実務者向けに読み解きます。Agoráがただちに実用化されるという話ではなく、銀行や企業がトークン化預金やデジタル台帳、クロスボーダー決済の高度化を検討するうえで、どのような論点が示されているのかを整理します。

※本稿では、特に断りのない限り、ホールセール領域のクロスボーダー決済を「クロスボーダー決済」と表記します。

1. Project Agoráとは何か

Project Agoráは、クロスボーダー決済におけるトークン化とプログラマビリティの可能性を検証する官民連携プロジェクトです。BISの公開資料によると、プロジェクトは中央銀行と民間金融機関が参加し、共有プログラマブル基盤上で複数通貨の決済を扱う可能性を検証した取り組みとして説明されています。

ここで注目すべき点は、Agoráが暗号資産のような新しい民間マネーを前提にしているのではなく、既存の信頼性の高い金融システムを土台にしている点です。すなわち、中央銀行準備と商業銀行預金という既存のマネーをトークン化し、共有基盤上でより効率的に扱う構想です。

項目内容
対象領域クロスボーダー決済。個人向け送金ではなく、金融機関間・大口決済に近い領域
中核アイデア中央銀行準備と商業銀行預金をトークン化し、共有基盤上で多通貨決済を扱う
狙い処理時間、コスト、不透明性、照合負荷、流動性の分断といった構造的課題の解消
現在地プロトタイプによる検証段階。今後、一定の通貨・参加者を対象に実価値取引のテストへ進む予定

2. なぜクロスボーダー決済は遅く、不透明になりやすいのか

クロスボーダー決済は、単に送金メッセージを送るだけでは完結しません。複数の銀行、通貨、決済システム、法域、本人確認・制裁対応・AML/CFT確認、会計処理、照合処理が関係します。そのため、処理が逐次的になりやすく、決済完了までの時間やコストが増えやすい構造になっています。

企業財務の観点では、入金タイミングが見えにくいこと、資金が複数拠点・複数通貨に分断されること、照合作業の負担が大きくなることが課題になります。金融機関の観点では、仲介銀行をまたぐ処理、コンプライアンス確認、流動性管理、例外処理、顧客へのステータス通知への対応が求められます。

課題実務上の影響Agoráが示す方向性
遅延複数の処理が順番に進むため、決済完了まで時間がかかる
複数の支払脚を同時に成立させるアトミック決済の可能性
不透明性支払状況、手数料、失敗理由が見えにくい
共有基盤とプログラム可能な処理による可視性向上
照合負荷取引、入出金、手数料、為替、帳票の突合が発生する台帳上の状態管理とワークフロー埋め込み
流動性分断通貨・地域ごとに資金を厚く持つ必要がある
常時決済や条件付き決済による資金効率化の余地

3. トークン化された中央銀行準備と商業銀行預金の意味

Agoráの特徴は、決済資産としてトークン化された中央銀行準備と、トークン化された商業銀行預金を組み合わせている点です。中央銀行準備は金融機関間決済の安全性を支える中核的なマネーであり、商業銀行預金は顧客との関係や銀行業務に密接に関わるマネーです。

これらを共有基盤上で扱うことで、既存の銀行システムを置き換えるというより、既存の信頼構造を保ちながら、決済処理の速度、透明性、プログラム可能性を高める方向性が示されています。国内実務者にとっては、トークン化預金やデジタル台帳を検討する際に、単体の商品設計だけでなく、中央銀行マネーや決済インフラとの関係をどう考えるかが重要になります。

マネーの種類
役割
実務上の示唆
中央銀行準備
金融機関間決済における安全性と最終性を支える
クロスボーダー決済の本番化では、中央銀行マネーとの接続が重要論点になる
商業銀行預金
顧客・企業・銀行業務に近い預金マネー
預金のトークン化は、顧客管理、残高管理、リスク管理、既存勘定系との関係を伴う
共有基盤
複数の参加者が状態を参照し、条件付き処理を組み込む場
既存システムと新しい台帳基盤をどう接続するかが実装課題になる

4. アトミック決済はクロスボーダー決済をどう変えるか

Project Agoráにおいて、重要なキーワードが「アトミック決済」です。これは、複数の支払脚や通貨をまたぐ取引について、すべてが成立するか、すべてが成立しないかを一体で扱う考え方です。現行のクロスボーダー決済では、片側の処理が進んだ後に別の処理が遅れる、途中で確認が止まる、例外処理が発生するといった問題が起こり得ます。

アトミック決済が実現すれば、複数通貨・複数参加者の取引であっても、決済状態をより明確に管理できます。これにより、取引の片側だけが実行されることによる決済リスクを低減できると期待されています。また、照合作業、資金拘束、顧客へのステータス通知のあり方にも影響します。ただし、アトミック決済を実務で成立させるには、技術だけでなく、法的な決済最終性、契約、参加者間ルール、例外時対応が必要になります。

観点変化し得ること残る検討課題
決済リスク片側だけ処理が進むリスクを抑えやすくなる
どの時点で最終的な決済とみなすか
業務処理照合・確認・例外対応の一部を自動化しやすくなる
例外処理や訂正権限を誰が持つか
資金効率常時決済や条件付き決済により資金滞留を減らす余地がある
流動性管理、営業時間、参加者間ルール
顧客説明支払ステータスをより明確に示せる可能性がある
通知、帳票、監査証跡、問い合わせ対応

5. 技術だけでは解決できない論点:法的確実性、プライバシー、コンプライアンス

Agoráが示しているのは、決済効率化のための技術的な仕組みだけではありません。クロスボーダー決済を本番環境に近づけるには、プライバシー、法的確実性、コンプライアンスといった非機能面の論点も同時に扱わなければなりません。

たとえば、残高や取引情報を共有基盤上で扱うとしても、すべての参加者にすべての情報を開示するわけにはいきません。必要な関係者が必要な情報を確認でき、かつ機微情報を保護できる設計が求められます。

また、トークン化された中央銀行準備や商業銀行預金を用いる場合でも、それらの法的性質や関連する義務がどう扱われるかを確認する必要があります。BISの公表内容では、法的分析を通じて、検討対象となった法域において決済最終性を実現できる可能性が確認された一方、技術・運用・契約上の要件についてはさらなる整理が必要とされています。

論点
読み解き
国内実務での確認事項
プライバシー残高・取引レベルで機微情報を保護しつつ規制対応を行う設計が重要データ共有範囲、アクセス制御、ログ、監査対応
法的性質トークン化しても中央銀行準備・商業銀行預金の法的性質をどう扱うかが重要
契約、台帳記録、権利関係、顧客説明
決済最終性複数法域で最終性をどう確保するかが本番化の前提
国内外のルール、参加者間契約、例外時対応
AML/CFT将来の制裁対応、不正検知、AML/CFT高度化の余地が示されている
取引モニタリング、本人確認、データ連携

6. なぜAgoráは「単一台帳」を目指していないのか

さらに、Project Agoráのプロトタイプについて、中央銀行が自国通貨や運用に関する自律性を保ちながら、相互運用可能な共有基盤に参加する考え方が示されています。これは、すべての通貨や台帳を単一の主体が管理する構成を前提とするのではなく、各参加者の責任範囲を保ちながら、決済に必要な状態や処理をつなぐ方向性と考えられます。

国内実務者にとって、この点は重要です。金融トークナイゼーションの本番化では、すべてを新しい台帳に置き換えるのではなく、既存の勘定系、決済基盤、会計、顧客管理、リスク管理システムと、新しいトークン化基盤との役割分担をどうするかが現実的な論点になります。

設計観点Agoráから読める示唆
国内検討での問い
自律性各通貨・各参加者の運用ルールを保ちながら相互運用する
自社システムと外部基盤の責任分界をどう置くか
共有性決済に必要な状態を共有し、処理の整合性を高める
どのデータを共有し、どのデータを社内に閉じるか
拡張性モジュール設計により、条件付き決済や将来の高度化に対応する余地がある
初期PoCから本番化・拡張までのロードマップをどう描くか

7. 実価値テストへ進むことの意味

BISのプレスリリースでは、Project Agoráが今後、一定の通貨と参加者を対象に実価値取引のテストへ進む意向であることが示されています。これは、プロトタイプの技術的な成立性だけでなく、実際の資金、参加者、運用、法的要件を伴う段階へ検討が進むことを意味します。

ただし、これは直ちに商用サービスが始まるという意味ではありません。実価値テストでは、技術だけでなく、運用体制、障害時対応、参加者間契約、規制対応、監査証跡、データ保護、顧客説明など、本番化に向けた多くの要件が検証対象になります。

そのため、国内企業がこのニュースを読む際には、短期的な導入可否ではなく、本番化に向けてどの論点が検証されようとしているのかを見ることが重要です。

8. 国内の銀行・企業財務はどう理解するべきか

Project Agoráは海外のプロジェクトですが、国内実務者にとっても示唆があります。銀行にとっては、トークン化預金やデジタル台帳を検討する際に、既存の預金・決済・勘定系・リスク管理とどう接続するかが論点になります。企業財務にとっては、クロスボーダー決済の可視性、着金予測、流動性管理、照合作業がどのように変わり得るかを考える材料になります。

ただし、Agoráは本番稼働中のサービスではなく、実験的なプロトタイプです。したがって、短期的に自社システムへ直接導入する話として読むのではなく、中長期的に決済インフラ、預金、台帳、コンプライアンス、企業財務がどのように接続され得るかを読むことが重要です。

対象注目すべき点次に検討すべきこと
銀行トークン化預金、中央銀行マネー、決済最終性、既存勘定系連携
PoC範囲、既存システム接続、リスク管理、参加者ルール
企業財務着金可視性、資金効率、複数通貨管理、照合作業削減
自社のクロスボーダー決済課題と業務影響の棚卸し
システム企画共有台帳、API連携、権限管理、データ保護、運用監視
既存決済・会計・顧客管理との接続方式の検討
リスク管理AML/CFT、制裁対応、法的確実性、プライバシー、監査証跡
部門横断の論点整理と内部規程への影響確認

9. 検討を始めるなら、どの論点から整理すべきか

Agoráのような取り組みを自社の実務に引き寄せる際は、技術名や海外プロジェクト名から入るのではなく、自社の決済・資金管理・既存システム・リスク管理のどこに課題があるかを整理することが出発点になります。

  • クロスボーダー決済で、処理時間、コスト、照合、流動性、可視性のどこに課題があるか
  • トークン化預金やデジタル台帳を使う場合、既存の勘定系、決済基盤、会計、顧客管理とどう接続するか
  • アトミック決済や条件付き決済を導入する場合、例外時対応、取消、訂正、権限管理をどう設計するか
  • AML/CFT、制裁対応、データ保護、監査証跡をどのシステム・どの部門で担保するか
  • PoCで確認したいことは、技術成立性、業務成立性、リスク管理、事業性のどれか
まとめ

Project Agoráは、クロスボーダー決済を単に速くする取り組みではありません。中央銀行準備、商業銀行預金、共有基盤、アトミック決済、プライバシー、法的確実性、コンプライアンスを一体で検討することで、既存の銀行システムを土台にしながら決済インフラを高度化する可能性を示しています。

国内実務者にとって重要なのは、Agoráを海外の先進事例として眺めるだけでなく、自社の決済業務、企業財務、システム構成、リスク管理にどのような論点が生じるかを整理することです。クロスボーダー決済やトークン化預金の検討を始める場合は、業務・システム・法務・リスク管理を横断して、最初の論点整理を行うことが重要になります。Agoráは、その検討を始めるための有効な入口といえるでしょう。



出典・参照資料

BIS公式レポート
Project Agorá: a shared programmable platform for wholesale cross-border payments(2026年5月27日、97ページ)
BISプレスリリース
Project Agorá shows how tokenisation can improve wholesale cross-border payments; work will advance to real-value testing(2026年5月27日)
BISプロジェクトページ
Project Agorá: exploring tokenisation of wholesale cross-border payments(2026年5月27日更新)